空っぽのまま、飛ぶ。

 年末くらいからブログを上げたいなと思いつつ、書けなかった。原因ははっきりしている。何も書きたいことがないからだ。でも明日は自分の誕生日なので記録として書いてみる。抽象的でわかりにくい話になると思う。

 今、かなり自分の価値観の軸となる部分が揺れている。それはさまざまな思考を言葉にする過程で、自分の内面と向き合い始めたからだ。今まで正しいも思っていたもの、これが自分だと定義していたもの、好きだと思っていたもの、嫌いだと思っていたもの、全ての看板を下ろしてもう一度選び取る作業をしている。

 そうすると、何を言うにも書くにも軸がなくなってしまって書けない。今、人に会っても何も言いたいことがない。空っぽだ。空っぽの自由を味わっている。

 不思議なもので私は長い間、「自分を縛るものがなければ、自分というものが宇宙に向かって無限に膨張して全てを破壊してしまう」と信じていたようだ。自分に向き合ってみて初めてそんな恐怖を抱えていたと気がついた。けれど、別に自分を縛るものをなくしたところで、私の体から意識だけ飛び出ることはなかった。それどころか自分の体の端々まで自分が充満することは、私にとっては幸福を感じることだった。自分の中に自分しかいないことがこんなに幸せだとは知らなかった。

 私の体から意識が飛び出ないのと同じように、今の空っぽに感じる私の心にも私らしさというものは残っていて大きく枠からでることはないのだろう。それこそ他の人から見たら何かが変わったとはわからないだろう。

 でもそれでいい。人に理解されたいと悩むことはもうやめる。コントロールできないものは手放し、コントロールできるものですら執着しない。心や体の感覚、私たちを取り巻く環境、どれを取っても変わらないものはないのだから、全ては波のようだとただ見つめる。

 世界の重さを全て受け止めようとしない。必要なものだけ拾って、あとは風に任せて飛ぶ。私は風に乗って飛ぶ鳥のようになる。

 今はそんな気持ちだ。