頭のいい人はえらい

私は頭のいい人は偉い、という価値観を持っているようだ。以前ネットで知り合った人に会った時に、そう言われた。その人は私とそう変わらない歳の人だったが、生活保護を受けていたり、借金したお金で整形をして自己破産したりとなかなか破茶滅茶な人だった。その人が大切にしていたのは、自由だった。周りから破茶滅茶に見えようと、自分のやりたいことを全部やろうとしていたし、公的な救いの手が届かない場所にいる人を救おうとしていた。

 私はどうしても「責任」というものを考えてしまう。何事もやり始めると責任が付きまとう。自分の責任の取れる範囲でやれることをやろうと思っている。自由を求めるその人は私のことを真面目でつまらない人間だと思っただろう。責任を取らないとあとで自分が痛い目をみる、私はそれが怖い。何より、私の憧れる「頭のいい人」は責任を取れないことをやらないだろう。

 私が頭のいい人に憧れる理由は色々ある。両親が教師だった。人生で初めて憧れた友達が勉強がよくできる子だった。ハリーポッターを読んで、ハーマイオニーに憧れた。頭のいい人は一目置かれるし、何をしていてもかっこいい。私もそんな人になりたかった。でもなれなかった。一番勉強しなくてはいけない高校生の時にはすでに精神病的な症状を発症していて、ほとんど勉強をすることができなかった。それが今でも本当に悔しい。

 自分が心底望んでもできなかったことだからこそ、頭のいい人は偉い、少しでもそうなりたいと思うのかもしれない。

 大人になってからの勉強はゴールがない。定期テストもないし、志望校もない、さらに言えばこれさえやっておけば安心な参考書も問題集もない。ただ、大人の頭のいい人というのは「知識が豊富」、「思考が柔軟」という特徴があると思っている。どちらにも共通して言えるのは「学ぶ姿勢を辞めない」ことだ。

 一生かかっても、頭のいい人にはなれないかもしれないが、「いつでも新しいことを学ぶ人」にはなれるかもしれない。いつか自分の葬式でそう思ってもらえるように新しいことを恐れず勉強を続けていきたい。今日の決意終わり!